アツシとシゲルの幸福③
次に中島敦。
『幸福』より。
南方の島にとにかく哀れな男がいた。
物持ちの第一長老に仕え、日がな一日労働をし、石のように眠る。
その他の不幸は割愛するが枚挙に暇ない。
その哀れな男は賢く、足るを知っていた。
主人が苛刻といえども視る聞く呼吸するなどの自由は奪われていないなどと考えていたが、当然太陽の下でこき使われるよりは木陰で昼寝したほうがいいと思っているので時々神に祈っていた。
しばらくしてその哀れな男はある夢を見るようになる。
彼は夢の中では長老になっていた。目が覚めると当然、いつも寝ているぼろい物置小屋であったのだが。
初日は驚いたが二日め、三日めとなると少しずつ彼の夢の中での振る舞いが長老っぽくなっていく。
そして夢の中で自分に仕える下僕の中に(現実世界の)長老らしき人物を発見する。彼はその下僕に一番ひどい労働をさせ昼間のうさをはらす。
その夢を見だしてから昼間の労働も苦にならなくなっていき、おまけに体調もすこぶるよくなっていく。
反対に、長老は同じ頃におかしな夢を見だす。
夢の中で長老は下僕であり、その主人というのが昼間こきつかっている哀れな男である。夢を見だした頃より、長老は体調を崩していく。
腹を立てた長老は下僕を呼び出し、怒ろうとするも見るからに自身に満ちた下僕をみて躊躇する。
どちらが夢でどちらが現実なのか。
アツシとシゲルの幸福②
まずは水木しげるより。
いろいろあるのだがひとつ抜粋する。『島』という短編。
エビスと大黒が不幸な人間を救おうと幸福の島を作った。
その島ではありとあらゆる欲望がかなうのである。しかし島の広さ的に100人しか入居できない。
うわさを聞きつけたモブキャラが申し込み、公正な抽選を経て入居する。
島には何でも生る木があり、最初の数年は皆よろこんでいた。
しかし、退屈と平穏からくる空しさのため、ひとりまたひとりと島を去っていく。
そこでモブキャラがつぶやく
“理想というやつが手に入ってみると
そいつぁ理想じゃないように
幸福もまた手に入ってみるともう幸福じゃない
人間には適度の貧乏と適度の危険と不安が必要らしい
~中略~
俺はあの不満に満ち満ちた現世こそ人間にとって極楽かもしれないと思うようになった”
そして彼もまた帰るのであった。
人間とは不思議なもので、金持ちになりたいと思ってなってみたら金の使い方に困り、自由になりたいといってなったもののその自由さに困ってみたりする。
結局テキトーが一番いいのである。いい加減って好い加減なのだから。
アツシとシゲルの幸福 ①
高校の時は単に変身譚というのと文章の音感がおもしろいな程度であったが、
大学卒業するあたりで読み直してみると李徴の自分語りが身にしみた。
“臆病な自尊心と尊大な羞恥心”っていうのはマージナルマンの頃に多くの人が抱くものであろう。
その一人として半身タイガースなどと揶揄しつつ自戒してきた。
水木しげるは小学生の頃、町立図書館にある鬼太郎の本を片っ端から借りて読むぐらい好きであった。小学校の4年か5年の頃にアニメ第四期が始まったのもあってどっぷりはまっていた。
大学生の頃、古本屋でこれまた片っ端からいろいろな作品を買いあさった。
水木しげるの人生観はたぶんに自分の(超)自然主義に影響を与えている。
そんな二人には太平洋戦争と南国という共通点がある。
その後、水木しげるは一兵卒としてパラオからラバウルをはじめ南国を転々とする。
それぞれの南国と幸福についてふれていく。
すーめろ⑥
最後。
この話は改心した王に対し群集が万歳するところで終わらない。以下のように終わる。
ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。
メロスは風体をきにせず走ってきてほぼ全裸であった。そこへ少女がマントを持って来て“よきとも”に声をかけられ自分のなりに気づくのである。
なぜこういう終わり方をするのかに対しては様々な考え方がある。
“走れメロス 最後の5行”で検索をすればいろいろとでてくるので見て欲しい。
玉石混合いろいろあるがどれが正解というものはない。各自が思うことが正解なのだ。
そこにこそ太宰治がこれをかいた意味があるのであろう。
私の解釈は、“正道の非道”である。
ここでいう正道とはまっすぐ、実直、ストレートずどんと続く正しいことという意味合いである。北海道などにあるやたら長くて立派な一本道のイメージ。
メロスは自分の信じる愛だの正義だの信実などというものは絶対的に正しいと信じて疑わない確信犯である。その結果、彼は命を失いかけ、友人を殺しかけ、妹の結婚式を無茶苦茶にしかけた。周りの人間にとっては“メロスに激怒した”状態なわけである。
その人にとっての正義は見方をかえれば身内すら不幸にする可能性を持っている。
大団円でメロスを勇者にして終わってしまえばメロスの自己本位的無計画さには触れずじまいである。
まっすぐであること、正道であることはいつも正しいとは限らず、時にそれは恥ずべきあるいは忌むべきことであるということわかりなさいよというメッセージと私は読み取った。
最後にメロスは自分の行動を省み、赤面したのであろう。
この話は初出が1940年。太宰の熱海事件が背景にあるのなら、構想し、書かれたのは1936~1940年の間のどこか。その頃の日本の状況ともあいまって余計なことを勘ぐってしまうものだ。
すーめろ⑤
次。
水を飲んで復活し、街へ走る。
なんとか間に合いセリヌンティウスと再会。涙をうかべて
メ:ワシは途中で一度、悪い夢をみたし殴ってくれ。さもないと抱擁の資格もない。
察したセリヌンティウスは首肯し殴る。
セ:メロス、ワシを殴れ。ワシも一度だけキミを疑ってもたし。
殴るメロス。そして抱擁。
それを見た王は信実は空虚な妄想ではないと改心、仲間にいれてくれと請う。群集歓喜。
大団円着地。
いろいろ経てなんとか間に合うメロス。感動の再会はお互いを殴りあった後、抱擁するというもの。メロスが殴られるのは然りであるが、セリヌンティウスを殴るメロスはやはり???となる。
メロスらの間にある感情がなんなのかはわからないが、きっとそれがセリヌンティウスが甘んじて人質の立場を受け入れたものなのだろう。そこはつっこむまい。
それを見て改心する王。メロスとの口論のところでも感じたが、この人は登場人物の中で一番まともな人物なんじゃないかと思う。きっと王になる過程で昼ドラ並のなにかしら奸佞邪智を見せられひん曲がってしまったのであろう。
(次回ラスト)
すーめろ④
次。
村を出て走る。ある程度走ると、まあ余裕で間に合うっしょとのんきに歩き出す。
全行程の半分くらいまできてからの濁流&山賊。自分の不幸を嘆きながらなんとか難を逃れる。そこで精根尽き果て動けなくなり長い一人語り。
メ:友を欺く気なんかないし。できれば心臓を見したりたい。愛と信実の血液で動いているんや。でも大事なときに動けん。情けない。結果、間に合わんなら、はなからやらんのと一緒や。もういい。これが運命かもしれん。すまんセリヌンティウス。欺こうなんて思ってないねん。いまも信じてくれてんにゃろなあ。そう思たらつらい。でも信じてや。濁流も山賊の囲みも突破したんや。ワシやからできたんやで。だからもうええやん。
間に合わんだら王は独り合点しょるんやろ。ほれみわざと遅れてきょったと。そうなったら死ぬよりつらい。地上で最も、不名誉な人種や。一緒に死なせて。キミだけは信じてくれるやろ?いやそれも独りよがりか。もうええ。いっそ悪徳者としていきたろ。妹はさすがにワシを追いださんやろ。考えてみると正義とか愛とか信実とかあほらし。人を殺して生きるっちゅうのが人間の定法やろ。あほらし。
そうして四肢をなげだし寝る。
クライマックスにさしかかりいよいよ本性がでた。
(この一人語りは国語的には“勇者らしからぬ人間的で弱気な面”らしい)
村を出てまず走る。それはよい。しかしその理由は故郷への未練を断つためという独りよがりなものが大きい。そうして事を為すとまあ時間あるしと歩き出す。そら走れよとつっこまれる。
そうして濁流に橋が破壊され川が渡れなくなり嘆く。夏休みの最後の日に泣きながら宿題やる感覚と同じでしょう。無計画。
川も山賊もなんとか突破し力尽きる。いや計画的に走っていればどこかで休む時間もとれんちゃうのと思う。自業自得。
で挙句にとんでもなく言い訳がましいことをいいだす。
愛と信実の血液で動いている心臓って何だと。アンパンマンしか言う資格ないよと。
寝坊したのかと思うくらい寝たり、途中で歩いたりしてるにもかかわらず、間に合わないのは運命かもね頑張ったしほっといてってどの口が言えるのだと。
どうせだめなら最初からやらんのと同じだしこのまま村へ帰って悪徳者としていきてやろうあほらし。って町田康作品の登場人物みたいなことを考える始末。手に負えない。
自分の大好きな愛、正義、信実のために、友や妹や妹婿の家族等々に迷惑をかけこんなこというやつは勇者にしてはいけない。いまどき少年ジャンプでもないクサさだ。
すーめろ③
次。
メロスは村に帰る。へろへろの様子を見て心配する妹になんでもない、街に用事を残して来たからはよ結婚式しよと準備を始める。そして相手の家にも行き、無理やり明日に式を行うことを承諾させる。
翌日の結婚式。わいわいと。メロスにはこのままここにいたいという欲が芽生える。しかしそれを振り切り妹に別れを告げる。
メ:疲れたしおいとまして寝ま。大事な用事があるし起きたらすぐに街へ戻る。おまえの兄の一番嫌いなことは、人を疑うことと嘘をつくことや。亭主との間に秘密はいかんよ。ワシが言いたいのはそれだけ。
そうして翌朝、街へ向かう。
いよいよ。
何の支度もできてないし、せめて葡萄の季節まで待ってという相手を明け方までの議論でねじ伏せ、強引に結婚式を行う。自分は待ってもらっていながら。自己中。非道。
さらに妹に対し、亭主との間に秘密はいけないと言う。自分は心配する妹に対してなんでもない、用事があるので街へ戻ると嘘をつき秘密をつくるのに。二枚舌。
よくよく読めば妹には“亭主との間に”と限定する手の込みよう。つっこまれたところで妹と自分の間には秘密はあっていいのである。隙のない詐欺師。萬田銀次郎もびっくり。