すーめろ②

次。

王とのアーギュメント。

王:人間は私欲のかたまり。ワシかて平和を望んどる。

メ:(嘲笑)罪のない人を殺してなにが平和だ!

王:お前の心も見える、殺される時に泣いて詫びても聞かんよ?

メ:うぬぼれろ!死ぬ覚悟はできている。ただ…妹の結婚式があるさかい3日間ちょうだい。

王:は?逃がした小鳥が帰ってくるゆうのんか?

メ:ほんまにほんま。信じられんゆうんならツレのセリヌンティウス人質にしてもええし。

王:(騙されたふりしたろ。どうせ戻ってきよらんし。ほなこいつを信じたためにという大義名分でもって人質を殺せる。)わかった。ほな3日まったる。3日たったら人質殺してお前は許したるさかいに。ちょっと遅れてこいよ。

メ:なんで信じてくれんのや(激おこ)!ものもいいたない!!

そうしてセリヌンティウスが人質となりメロスは3日間の日限を得る。

 

おかしい。

王は客観的にみておかしなことは言っていない。短剣を懐に入れて怒鳴り込んでくるやつは自分を殺しに来たやつだろうし、処刑だ!となって村へ帰らせてっていうやつはそら逃げると考えるのは至極当然。

むしろそういっておきながら「なにをおっしゃる!!」と地団駄を踏むメロスの方がおかしい。そうして黙って人質になるセリヌンティウス。とんでもない聖人かあるいはメロスととんでもない関係なのか。

すーめろ① (全6回)

2月はメロスの季節である。

走れメロスギリシャ神話とシラーの詩をベースとした、いわずと知れた太宰治のやつ。だれしも一度は読んだり読まされたりしたものであろう。

どのような印象を持っているだろうか。一般的な印象は、一本気な勇者メロスが人の心を信じられない暴君に信実は存すると見せつけ最終的に改心させて大団円というやつである。

ただそれはいかにも教科書くさい。そこは疑ってかかるべき。少し前に中学生が自由研究でメロス走ってないやんってやっていたが彼の視点が正常であると思う。

そこで、自己中かつ正義の押し売りをするメロス対し批判的つっこみを入れてつつ読んでみたい。

 

まず冒頭。

メロスは唯一の家族である妹の結婚式の買出しに街へ出る。二年前と比してずいぶん静かな街を不思議に思い尋ねると人を信じられない暴君が人を殺しているという。

メロスは激怒して王へ怒鳴り込み、あっさり警備につかまり胸にあった短剣のせいで王殺しの疑いをかけられる。

 

おかしい。

まずは沸点が低い。人を疑い殺しているときいて激高、そらあかんでほなおっちゃんがゆうたろレベルで王に会いに行く感覚。いくら世間知らずの牧人であっても駄目すぎる。

そして短剣を持ったままいく。坊ちゃんも真っ青の無鉄砲。せめて短剣は置いていかないと。それで私はあなたを殺すつもりはないということを王が信じないのは火を見るより明らかではないか。

しぜん2

その技術進歩の過程で多くの人間があぼんしたという胸糞悪い話は割愛する。

手術に成功した人間は即座に戦力足る。新時代の足軽

しかしながら、そこには代償があった。

 

 

というところから本題へ。

脳とヴァンツァーとをつなぐということは脳を酷使するらしい。

急に感覚器官が大量に増えてそこからの情報を処理しなくてはならないからだ。そうして、たいがいのS型手術を受けたものは記憶をなくしていくと。

 

人間の歩みを考えると便利なものをつくりだし、時短、効率化をすすめてきた。おもしろいのはそうして浮いた時間で何をするようになったかということである。

洗濯は板でもってごしごししてたのから、二層式の洗濯機ができて洗う手間、脱水の手間が省け、今は全自動で脱水層へ洗濯物を移す手間も省けた。

 しかし多くの人は浮いた時間でぼーっとするわけでもなくさらになにか別な仕事をするのである。

10時間の仕事が1時間でできるようになったらのこり9時間またそのペースで何か別なことを。結局もとと同じかあるいは人間的なペースを逸脱しているという点においてむしろ以前よりも疲弊する。

 

なんとなく皆疲れている違和感とはそこにあるのではないのか。

しぜん1

Front missionというゲーム。小学生の頃に1をやって大学生で5をやった。

引越しで眠っていたPS2をテレビにつないでやっているナウ。

約100年後の設定で、ヴァンツァーっていう人型の機械で戦争してるっていうものなのだが、そこに示唆的なものがたぶんに含まれている。

 

ヴァンツァーはコックピットに人が入って操縦してんだけれども

人の挙動と機械のそれには当然ラグが生じる。熟練したパイロットは自分の体ように動かせるが素人は歩くのがやっとらしい。

人は自分で歩くときに足をどううごかすのか考えてないだろう?

といった旨を途中モブキャラが発言している。慣れればそれは体になるのだ。

 

刀、槍、弓などは訓練を経た人間が使うものである。

鉄砲はそれらと比べると手入れを学び狙いをつけてバンという比較的使いやすい武器であって素人でもすぐに戦力足りえた。そして足軽なんていうニュータイプの登場に繋がった。

ヴァンツァーというものにも同様のことが起こり

簡単に熟練パイロットを手に入れたいという発想は当然でてくる。

人間は脳からの電気信号で体を動かしている。そういった観点からみれば精巧な機械である。じゃあその信号でヴァンツァー動かせるんじゃね?って考えた者がいた。

そこで脳に機械を埋め込んで耳の後ろにアウトプット端子をもうけるS型デバイスというのがつくられた。

 

・・・・・・

 

 

突然レディオヘッド

私学の問題はフリーダムである。

突然レディオヘッドがでてくる圧倒的主観の文。

以下。昨年度の京都セイショウ高校の入試より抜粋。

 

問題提起

We all know that honesty is the best policy.  ~略~

I will say,” I am always honest" if you ask me how honest I am.~略~

But when you look at honesty box systems, in some situations, people are not as honest as they'd like to think. So what determines how honest people are?

我々は正直が最善の策だとわかっている。

私がどれだけ正直か尋ねられたらいつも正直だと答えるだろう。

しかし、正直箱システムを見ると、いくらかの状況において、我々は自分がなりたいと思っているほど正直でないことがある。では、人がどれだけ正直かを決めるのは何であろうか。

 

正直箱システムとは?

Honesty boxes are sometimes used to sell products like newspapers at train stations and vegetables at the farmer's gate.

You take something you want and you pay by putting your money in a box.

正直箱は時々、電車の駅の新聞や、農家の玄関の野菜のような物を売るのに使われる。欲しいものを持って行き、箱にお金を入れることで支払いをする。

(田舎には必ずある野菜直売所などのアレのこと)

 

ネットでも正直箱

Honesty boxes are now part of the online world, too.

In 2007, Radiohead decided to sell their new album, In Rainbows, by using a digital version of an honesty box.

They released the album as a download and a kind of honesty box appeared on the screen.

It said,” You can determine how much this is.” Most people paid a fair price.

正直箱は今やオンラインの世界でも一部使われている。

2007年レディオヘッドは新しいアルバム「In Rainbows」をデジタル版の正直箱を使って売る決断をした。

彼らは新しいアルバムをダウンロード版として発売し、画面上にある種の正直箱が現れた。

そこには「これがいくらか決めてください」と書かれていた。

多くの人は公正な値段を支払った。

 

なぜ正直になるのか? 

~略

人が正直になるのにはふたつの主要な理由がある。ひとつ目は誰かに見られていると感じるときである。

The second reason is loyalty: people are more honest when they care about the seller in some way. You can say that people buying the Radiohead album were loyal customers and true fans of Radiohead.

ふたつ目の理由は誠実さである。人は、何らかの点で売り手を意識するときより誠実になる。つまり、レディオヘッドのアルバムを買った人は誠実な客であり、本当のファンであるといえる。

 

突然出てくるレディオヘッド

きっと問題作成者が自分のことをいうているのだろう。

momotaro

ももたろ とは日本人のソウルストーリーである。

しかしながら芥川かかれば鬼畜となる。

彼によれば鬼は元来、享楽的なものであり、鬼が島でのんびり平和に暮らしていたそうな。

そこへももたろが一念発起して退治に行くと言い出した。

じいさんばあさんは放蕩息子に手をやいていたので渡りに船

黍団子の土産までわたす始末。

途中、打算的な動物を従え、鬼が島へ行く。

ついた野郎らは、なんの目的もなくただ鬼どもを殺戮。

挙句、宝を奪い帰る。

まさに鬼畜の所業。

 

とまあそんな感じ。

コレクティブ

コレクティブハウスというものがあるらしい。

共同の食堂等をもちつつ、トイレなどは個々になっている集合住宅とのこと。昔の下宿+αみたいなものか。

今後、単身の高齢者が増える中で、新たな選択肢になるようだ。

時代は、旧来の「イエ」からの解放、個々人へ自由を、という段階を突っ切ってまた逆の方向へ行こうとしておるのだな。

 正、反で合を生む。

コレクティブハウスの新しさは遠慮にあろう。

家族=無遠慮、また個室以外あらゆるものを共同にする下宿という考えもある種、家族的無遠慮があるであろう。

知らない人にも遠慮はしまい。なので電車で化粧しようが寝癖スウェットでコンビニ行こうが気にしない。

核家族を経て、単身世帯だらけというのもまた、知った人とかかわることがないので無遠慮なのだ。

コレクティブハウスはその中間。遠慮のある、要る人との共同生活かつ、個人空間はしっかりと確保するというスタイル。日本人の新しい住み方になるのかも知れない。

 

年末、スーパーでカップ麺と飲み物をまとめ買いする壮年を見た。

あの人は三が日それですごしたのであろう。

自由なのだろうけれども。

考えさせられる。