時間①

年齢を経ると時間の体感速度が加速する。それは皆が経験することであろう。よく言われるのは年齢を分母に置くというもの。

5歳の1年。10歳の1年。29歳の1年。速さはまったく異なる。

物理的な1秒はどのタイミングも同じである。

違いはなんであろうか。

 

著者もタイトルも失念したが物理時間と生物時間についての文を読んだ。

物理時間とは矢のように一定方向へ等間隔で進むもの。不変で普遍のものである。

生物時間はその生物が生まれて死ぬまでをひとつの環として環状に進むものであり、個体差があるものである。

人類はあるときから物理時間を中心に進歩を始めた。作業効率を上げ、作業にかかる物理時間を凝縮したが、結局豊かにはなっていない。作業時間が半分になっても作業量が倍になるだけで結局なにも変わらないどころか忙しくなっただけというアイロニについて書かれていた。

 

物理的時間は変わらない。しかし、生物時間は変わるものである。子どもの頃は日々、あらゆることが新しい体験であり、あらゆることへ感動していた。

しかしながら、人間は保守的な動物である。日々、住むところ、住む人、仕事が変わる生活に耐えられる者はいまい。

大人になるということは不変を増やすことである。それは習慣を作るということでもある。

『習慣とは日々の繰り返しから違いを無視したもの』(ジル・ドゥルーズ)というように、日々、日常は変化しているが我々の知覚それ自体がその違いを排除して不変の日常へと変化させているのである。

 

つづく