忠さん

ライト兄弟が何した人らかというのは皆知っている。

しかし二宮忠八となると誰やねんとなるであろう。NHKのコント番組『LIFE』を見ているとワンコーナーで紹介されていた(若干嘲笑的に)ので思い出し、書き記す。

 

1866年、愛媛県の商家に生まれる。12歳のときに父を亡くし薬屋などへ奉公にでる。

その後、衛生兵として軍へ参加。

1889年11月、野外演習の休憩中、羽ばたかずに滑空しているカラスの飛び方をみて、向かってくる風を翼で受け止め、その空気抵抗を利用すれば、翼を羽ばたかなくても空を飛ぶことができるのではないかと気づく。もちろん当時も各国で飛行機は開発されていたが、どれも翼を上下させるものばかり。固定翼による飛行、そら斬新なアイディアであった。

その発想を具現化させるために橋の上から傘を持って飛び降り空気抵抗と傘の角度をはかっていった。

そして、カラス型模型飛行器を作成。それは聴診器のゴム管でプロペラを動かし推進力を得るものであった。10mという距離であったが飛行実験は成功、後はサイズを大きくし動力(エンジン)をつめば人が飛べる状態にできる。しかし、日清戦争により開発は中断。その間も忠八は軍に飛行器の開発を上申するが却下されていた。

終戦後、開発を再開する。しかし資金難のため飛行器の開発は停滞した。

1903年12月、そうこうしていたらライト兄弟が人類初の有人飛行に成功してしまう。

 

後日談

  • ・     英国航空協会はライト兄弟より先に飛行機の原理を開発したとして忠八を紹介している。
  • ・     飛行機事故による死亡者を弔うため飛行神社(京都府八幡市・なかなかサイケデリックな外観)をツクル。 → http://www.enrichen.co.jp/hiko/
  • ・     生涯で一度だけ飛行機に乗った。その感想は「若いころ毎晩ひこうきに乗る夢を見た。初めて空を飛んだ気持ちは、夢で見たのと少しも違わなかった」とな。

二宮忠八飛行館(新着情報2009年)  → http://chuhachi.netcrew.co.jp/