高瀬舟 ②欲
罪人・喜助の話を聞き、庄兵衞は思う。
庄(人は病気なら、元気やったらなあと思う。食ってけなければ、食っていけたらなあと思う。貯蓄がないと、貯蓄があればあなあと思う。貯蓄があれば、もっと額があればなあと思う。そうやって人の欲というのは歯止めがきかん。しかしこの喜助はそれを踏みとどまることができてるんや!)
そう思い喜助を見ると、その頭から毫光(仏の額にある白毫(=毛の丸まり)から出る光り)がさすように思った。
前半。
足るを知るものは富む。老子のおことば。欲望にはきりがないが、分相応のところで満足できるものは豊かである。
庄兵衞はいろいろ考えて、喜助の足るを知るのは欲望に歯止めをかけられるからだという結論にいたり、喜助を仏様を見る目でみているのであるが・・・
シアワセというのは相対評価で決まる。喜助にとってはワープアの生活より牢で不労のまま飯を食えることのほうがそらシアワセであったのである。
しかし、普通の暮らしをしていたらおそらく庄兵衞のように(悪い意味でなく)平々凡々に欲を増大させているに違いなく、喜助が喜助たりえたのは彼がそもそも希望とか欲望とかそんなものから疎外されていた存在だということも考えんといかん。
足るを知るってのはただただ欲を節し、貧しきにタエルのではなくて、『分』を知った上で欲を抑えることが大切なんよね。
(つづく)