高瀬舟 ①足るを知る
およそ100年前の小説であるがいろいろと示唆的である。
高瀬川というと酔っぱらいが闊歩する木屋町のそばを流れるあの川。京都の罪人が流刑になると高瀬舟にのせられ大阪へ向かう。流刑とは、交通手段の発達した現代なら強制単身赴任みたいなもんだが、死罪に次ぐ重罪である。
物語は同心・庄兵衞と弟殺しで流罪になった喜助の会話で進行する。
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大抵、流罪になる罪人は目も当てられんくらい気の毒な様子であるのが常だが、今回の喜助は妙に穏やかでむしろ楽しそうな様相をしている。
庄兵衞(以下:庄)「たいがいの罪人は悲しむのに自分、なんか平気そうやね、正味どう思っとるん?」
喜助(以下:喜)「そら(普通の人にとっちゃ流罪は)そう(かなんこと)でしょうが、ワシの京都での生活はそらひどいもんで、今回はお上のお慈悲で島におってええとゆうてもらえてほんまありがたいのですわ。
ワシはワープアでね、頑張って仕事をしてたんやけど、稼いだ銭は右から左へでていくばっかで、食っていくのにも難儀しとりました。でも牢に入ってからはなんもせんでも飯がもらえるし、おまけに牢を出る時に銭も二百文(数千円くらいらしい)もうてこれを元手にして島で仕事してこましたろと思とるんですわ」
その話を聞き、多分に思索的な庄兵衞は思う。
庄(こいつは足るを知っとる・・・
役人として給料をもろとるけど、ワシかて銭は右から左や。収支はとんとんで貯蓄もあらへんってのも同じ。そんな生活を不幸とは思わんが満足も覚えたことはない。
でも心の奥底には馘首されたら、とか病気なったらとかって不安は常にある。そらあいつは独り身でワシは家族がいるっていやあそれまでやけど、そらウソよ。ワシが独り身でもああはならんわ。)
そこで庄兵衞はある結論に至る。 (つづく)