高瀬舟 ③安楽死

 

後半のテーマは殺人とは?

庄兵衞は喜助に弟を殺した理由をたずねる。

 

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喜「ワシは小さい頃に両親を亡くし、弟と二人になりました。まあ、その後は二人で頑張って貧しいながらもなんとかやっとりましたが、弟が病気で動けなくなったんですわ。

ほんでワシだけ働いとったんやけど、弟はワシだけが働いていることを申し訳なく思っとったんです。

ある日、仕事から帰ると弟が首から血を流しておる、『どうした』と聞いたら『どうせ治らんし兄に楽させたいよってに喉切って死んだろ思たんやが、うまくいかんね。たのむし喉に刺さったカミソリをぬいてくれ』って言うわけですわ。

~中略・その後、しばらく逡巡する喜助~

弟の目は(カミソリを引き抜いて殺してほしいという)恐ろしい催促をやめません。で、その目が憎憎しい目になったのをみて『しゃあない。抜いたろ』と言うたんです。そらもう弟の目は晴れやかになりました」

庄兵衞は喜助の話を聞きまた思う。

庄(これは殺人か?弟の喉を切ったと、そら殺人やわな。でもほっとってもいずれ弟は苦しんで死ぬ。喜助は苦しむ姿を見るに耐えんで喉を切ったんや。苦しむものを助けるってことを考えると殺人ってことに疑問が生じる・・・)

 

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庄兵衞はいろいろと考えた結果、お上の判断(流罪)を自分の判断とする結論に至る。でも腑に落ちず、お奉行様に聞いてみたいなと思う。

 

『次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。』

 

リンタロウ渾身のこの一行で物語は終わる。

高瀬舟 ②欲

罪人・喜助の話を聞き、庄兵衞は思う。

 

庄(人は病気なら、元気やったらなあと思う。食ってけなければ、食っていけたらなあと思う。貯蓄がないと、貯蓄があればあなあと思う。貯蓄があれば、もっと額があればなあと思う。そうやって人の欲というのは歯止めがきかん。しかしこの喜助はそれを踏みとどまることができてるんや!)

 

そう思い喜助を見ると、その頭から毫光(仏の額にある白毫(=毛の丸まり)から出る光り)がさすように思った。

 

 

前半。

足るを知るものは富む。老子のおことば。欲望にはきりがないが、分相応のところで満足できるものは豊かである。

 

庄兵衞はいろいろ考えて、喜助の足るを知るのは欲望に歯止めをかけられるからだという結論にいたり、喜助を仏様を見る目でみているのであるが・・・

 

シアワセというのは相対評価で決まる。喜助にとってはワープアの生活より牢で不労のまま飯を食えることのほうがそらシアワセであったのである。

しかし、普通の暮らしをしていたらおそらく庄兵衞のように(悪い意味でなく)平々凡々に欲を増大させているに違いなく、喜助が喜助たりえたのは彼がそもそも希望とか欲望とかそんなものから疎外されていた存在だということも考えんといかん。

足るを知るってのはただただ欲を節し、貧しきにタエルのではなくて、『分』を知った上で欲を抑えることが大切なんよね。

 

(つづく)

高瀬舟 ①足るを知る

およそ100年前の小説であるがいろいろと示唆的である。

 

高瀬川というと酔っぱらいが闊歩する木屋町のそばを流れるあの川。京都の罪人が流刑になると高瀬舟にのせられ大阪へ向かう。流刑とは、交通手段の発達した現代なら強制単身赴任みたいなもんだが、死罪に次ぐ重罪である。

 

物語は同心・庄兵衞と弟殺しで流罪になった喜助の会話で進行する。

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大抵、流罪になる罪人は目も当てられんくらい気の毒な様子であるのが常だが、今回の喜助は妙に穏やかでむしろ楽しそうな様相をしている。

 

庄兵衞(以下:庄)「たいがいの罪人は悲しむのに自分、なんか平気そうやね、正味どう思っとるん?」

喜助(以下:喜)「そら(普通の人にとっちゃ流罪は)そう(かなんこと)でしょうが、ワシの京都での生活はそらひどいもんで、今回はお上のお慈悲で島におってええとゆうてもらえてほんまありがたいのですわ。

ワシはワープアでね、頑張って仕事をしてたんやけど、稼いだ銭は右から左へでていくばっかで、食っていくのにも難儀しとりました。でも牢に入ってからはなんもせんでも飯がもらえるし、おまけに牢を出る時に銭も二百文(数千円くらいらしい)もうてこれを元手にして島で仕事してこましたろと思とるんですわ」

 

その話を聞き、多分に思索的な庄兵衞は思う。

 

庄(こいつは足るを知っとる・・・

役人として給料をもろとるけど、ワシかて銭は右から左や。収支はとんとんで貯蓄もあらへんってのも同じ。そんな生活を不幸とは思わんが満足も覚えたことはない。

でも心の奥底には馘首されたら、とか病気なったらとかって不安は常にある。そらあいつは独り身でワシは家族がいるっていやあそれまでやけど、そらウソよ。ワシが独り身でもああはならんわ。)

 

そこで庄兵衞はある結論に至る。    (つづく)

なつめる

 

 

夏目漱石の「月が綺麗ですね」の逸話。ドラマ・相棒でもふれられていたが。

 

漱石が英語教師時代に”I love you.”の訳として生徒が『我君を愛す』と言ったことに対し、『日本人はそんなこといわん。「月が綺麗ですね」とでもしとき』と言ったとか言わんかったとか。

直訳をするのではなく文化・状況に即した意訳というやつでさあな。

 

他の例もいくつか考えてみよう。

 

・Will you marry me?  (結婚してくれる?)

 

一昔前なら「パンツ洗って」あるいは「味噌汁作って」になるのかな。

 

検索かけて出てきたものからいくつかピックアップ。

「そろそろ適齢期だしね」

「貯金が1000万円あります」

「そうだ、市役所いこう」

 

おもひで

3週間ぶりのOFF。なつかしのゲーム動画を見ているとスーファミタートルズが出てきた。そういや小学生の頃、テレビ大阪で夕方アニメやってたなと。

大阪から山を隔てたところに住んでいたのでテレビ大阪は映りが悪く、画面にノイズはいったものを。

ほいでタートルズといえばオープニングの曲。

ふんわりとしか覚えていないけど、なんか日本語詞でやっとったなと思い改めて今さがして聞いてみたら斬新すぎた。

  

まず英詞

Teenage mutant ninja turtles
Heroes in a half shell

Turtle power!

 タートルは海亀、トータスは陸亀トータス松本がいっていた。

Heroes in a half shell(甲羅をまとったヒーロー)ってとこが粋。かめぢから。


They're the world's most fearsome fighting team (we're really hip)
They're heroes in a half shell And they're green(hey, get a grip)
When the evil Shredder attacks These turtle boys don't cut him no slack

掛け合いみたいに()内の台詞がはさまれる。後述の日本語詞によせながら意訳す。

恐るべきガッツあるチーム(俺らホンマにナウい

甲羅をまとった緑のヒーロー(おい、しゃんとせぇ)

悪どいシュレッダーが来ても 亀らが好きにはさせない


Splinter taught them to be ninja teens (He's a radical rat)
Leonardo leads Donatello does machines (That's a fact jack!)
Raphael is cool but rude (Give me a break!)
Michaelangelo is a party dude (Party!)
スプリンターに忍術を教わった (センセイはバリすごいネズミ)

レオナルドがリーダーでドナテロはメカニック (そらお前ホンマそうよ)

ラファエロはクールで無礼(よせよ{好楽師匠風に})

ミケランジェロはパーリーピーポー

 

昔の洋楽感は否めないがオリジナルはまとまっている。

そして破壊力抜群の日本語版。

まずはググって動画でみてほしい。

 

オレ達ゃニンジャ・タートルズ
ティーンエイジのニンジャ・タートルズ
突然この世に現れた世界一のヒーロー

 

はいきた。当時小学校低学年であったが違和感を覚えていた。

その感覚は間違っていなかった。

がきんちょ向けに たーとるず とはっきりと発音する思いやり。

ミュータント(突然変異体)を突然この世に現れたと訳す思いやり。

でもティーンエイジはわかれよ!とそのまま残す思いやり。

 

恐いものはどこにもないぜヒーロー(特ダネよ!)
背中に甲羅をつけたヒーロー(がっちりやろう!)
どんな攻撃にも向かう所敵なし

 

若干残っているfearsome(恐ろしい)やHeroes in a half shellの感じ。

でも音やリズムは一切合わせにいかないぜという確固たる信念。やまとだましい。

 

スプリンターはタフなチームの親分(強いぜ)
レオナルドはリーダー ドナテロはメカに強い(焦るなよ!)
ラファエロはクールでドジ(たのむぜぃ!)
ミケランジェロは祭好き(楽しくいこー!!)

 

このあたりまでくるともう無法。タフって勝手に持ってくるし。

ラストの a party dude =祭好き という言い得て妙な訳。

おれたちゃ の出オチでおわらずに最後にきれいにまとめ上げるすばらしい作品だ。

 

これで12時間ほど笑った。

エンディングの今田東野のダブルコージの曲も聞いてみたい。

kaigi②

会議とはいろんな人の思惑をあわせるもの。

70数年前

陸海軍の思惑はそらもうずれていってた。

 

そもそも構造がややこしい。

軍政(予算など)は陸軍省海軍省

統帥(用兵とか作戦立案など)は参謀本部と軍令部に

 

陸軍省参謀本部はざっくり陸軍どうし

海軍省と軍令部はざっくり海軍どうし

すりあわせはできるが陸海となるともう合わん。

陸軍は対露で大陸いくよ

海軍は対米で海洋でるよ

そらもうばらばらでさあ。

 

内閣総理大臣というのが今ほど権限がないというのも問題で。

総理大臣が各大臣を罷免できない上に閣内不一致なら総辞職っていうさま。

つまり陸海軍が気に入らんとなれば組閣に対しても影響を与えうるという。

 

結果として内閣-陸-海という並立の3極構造でまとまるかいとなって

まとまらなかっていろいろとしっちゃかめっちゃかになったと。

kaigi ①

リーマンやっていると会議って不毛だなと思う。

 

日本人は会議とかディスカッションに向かない。

たいてい一人話す人がいてそれ以外は沈黙。

議長がふってしぶしぶなんか言うみたいなんの繰り返しで。

最終的にあるんかないんかわからん玉虫色の結論にいたる。

まあ大学のゼミでも似たようなものだし結局それはもっと昔からのものなのだろう。

 

いつの時代もそうであろうと

今回は70~80年ほどさかのぼろう。